2006年


ーーー5/2ーーー 気を抜かない 


 
私は大学を卒業してある会社に就職し、12年ほど勤めた。その会社は、化学プラントの設計、施工を業務としていた。

 入社してすぐに、新入社員はグループ分けされ、半年ほど工事現場に派遣された。オン・ジョブ・トレーニングと呼ばれる、仕事をしながらの研修である。私のグループは、千葉県の某石油化学工場の建設現場に派遣された。

 現場ではいろいろなことがあり、面白く、ためになったのだが、先日ふと思い出したことがある。それは先輩エンジニアの口から出た話であった。

 「大竹ちゃん(現場ではちゃんずけで呼びあったりする)、工事の日程というものは、ちょっと気を抜くとどんどん遅れてしまものなんだよ。だからオンスケ(オン・スケジュール=予定通り)で満足してないで、前倒しで進めなくちゃいけないんだ」という話。

 これは、今頃になって身にしみるようになった。木工家具を作る仕事も、ちょっと気を抜くとどんどん遅れて行く。

 会社に勤めていた頃は、与えられた仕事をこなす立場だから、遅れれば上司や他の部署から怒られた。つまり自分でスケジュールを管理していたわけではなく、全体のスケジュールによって私の仕事が管理されていたのである。ところが今の私の仕事は、自営である。全てを自分で管理しなければならない。尻を叩いてくれる人がいないのである。私が手を止めれば、私以外の誰も知らないところで、仕事はストップしたままとなる。

 働かなければ収入が得られないのだから、人が見ていようといまいと、働くのは当たり前と言われるかも知れない。しかし、物を作り出す行為というものには、「ノリ」とか「リズム」とか「ペース」とかいうものがつきものである。特に創造的な仕事、画一的でない仕事の場合、それをコントロールするのが難しい。「ノラない」ときは、ぼーっとしたまま時間が過ぎていくこともある。スランプに陥れば、仕事が手につかなくなることもある。

 スランプと言えば、以前ある著名な陶芸家がこんなことを言っていた。「スランプに陥ったときは、どんなにあがいても仕方ない。そういう状態をスランプと言うのである」

 自分を仕事に向かう最良の状態に持って行くことが大切だ。それは精神面、肉体面の両方について言える。仕事で成功するか否かの分かれ目は、案外このようなところにあるのかも知れない。




ーーー5/9ーーー 地粉のうどん


 群馬県某所にある知人の別荘に遊びに行った。例の「山小屋」である(→マルタケ雑記2004年2月号)。ここでは、都会から来るオーナーならびにその友人たちと、地元の人々との交流が濃密である。

 今回は地元の「トクさん」がうどん作りの道具を一式持ってきて、昼食をふるまってくれた。トクさんの話によると、昔はこの地域ではうどんが毎日の夕食だったそうである。ただし、その食べ方の中にもバリエーションがあって、中にはいわゆるうどん屋で出すものとは大きく違っているものがある。それを食べさせてくれるという趣向であった。

 この辺りでは、昔はどこの家庭でも「こね鉢」や「製麺機」などの道具を持っていて、自宅で麺を作って食べたとのこと。そして使うのは地元で取れる「地粉」。米が貴重な時代には、小麦粉が重要な役割を担っていたのだろう。

 トクさんはまず持参した大鍋に水を入れて焚き火にかけた。そして湯が沸くまでの間に麺を作る。こね鉢で地粉を練り、練り上がった生地を少しづつ製麺機にかけて麺にする。小野式製麺機という名称の、古びているがたいへん良くできた装置である。ハンドルを回すと平行に並んだ二本のローラーが回転して、うどんの生地を呑み込み、薄く長い板にして吐き出す。その板を隣のギザギザ歯のローラーの方に入れて回すと、細い麺となって出て来る。こんな装置は初めて見たと言ったら、トクさんは驚いたような顔をした。

 さて、この地域の伝統的な夕食のうどんは、生のうどんをそのまま味噌汁に入れて煮て食べる標準形の他に、「とうじ」と呼ばれる食べ方があるという。それをトクさんが披露してくれた。

 一旦茹でたうどんを冷水で洗ってザルに受ける。それをお椀一つぶんの玉に分け、小さいザルに入れて、別に用意したぐつぐつと煮立つ味噌汁の中にひたす。味噌汁は野菜主体の実沢山のものである。味噌汁の味がうどんにしみ込んだ頃を見計らってザルを上げ、汁を切り、お椀に盛る。その上に味噌汁の具だけを、これもザルで上げて載せる。そしてかき混ぜて食べるのである。好みでエゴマと味噌を練り合わせたものを載せて食べても良い。

 さてお味の方だが、これが誠に美味であった。それもそのはず、材料は全て地元で取れたもの。それをできたての状態で食べるのである。なんとも心地よい食感だった。しかも滋味あふれて素朴な、懐かしいような味。おまけに健康に良いこと間違いなし。何度もお代わりをして腹がはじけそうになった。しかし、後味はすっきりとして爽やかだった。この満ち足りた幸福感には、山里の風景と澄んだ空気もひと役買っていたに違いない。

 それにしても伝統食というのは、うどん一つをとってみても、いろいろな食べ方があるものだと、驚いたり感心したり。

 トクさんの話では、婚礼や法事の際には、やはり決まってうどんが出るそうである。それは、お椀に入れたうどん玉に、野菜だけのけんちん汁をかけて食べるのだと。「けんちんがご馳走なんだから、貧しい所だよね」とトクさんは笑った




ーーー5/16ーーー 雨漏り


 
ある雨降りの朝、「あなた、雨漏りがしてるわよ」という家内の絶叫で起こされた。声がした部屋に行くと、床に洗面器が置かれ、天井から水滴が落ちていた。

 記憶している限り今までの人生で、住んでいる家での雨漏りなど経験が無い。なんだかものすごく貧乏になってしまったような気がして、ショックだった。

 ともかく早くなんとかしなければいけない。屋根裏の部材が腐ってきたら大変だ。眠気も覚めやらぬまま、ヘッドランプをつけて屋根裏に上がった。

 柱と梁の間をぬうようにして現場に近づくと、雨漏りの痕跡があった。部材が濡れており、天井板の上に敷かれた断熱マットに水が溜まっていたのである。しかし、どこから雨水が入っているのか、はっきりとは分からない。だいたいここら辺という見当を付けておいて、後は屋根に上がって外側から調べるしかない。

 昼前に雨は上がった。地下足袋を履いて屋根に上がる。我が家は平屋なので、屋根に上がりやすい。二階屋だったらどうするのだろうか。仮に上がれたとしても、恐いだろうと思う。

 目的の場所に付くと、そこはトタン屋根の稜線が交わる所であった。なるほど、こういう所に雨漏りが発生し易いのだ。よく調べると、板金加工の継ぎ目に施工されたコーキング材が、古くなってめくれかけている。この程度のことで雨漏りになるのか疑問だったが、他に原因となるような損傷は無い。ここが雨漏りポイントだと断定して、ひとまず屋根から降りた。

 午後、コーキング材を買ってきて再び屋根に上がる。少し心理的な余裕ができて、周囲の風景を見渡す。新緑の盛りの林と、田植えを終えたばかりの田園風景が、五月の太陽の下でキラキラと光っている。360度を見渡せる屋根の上の開放感は、何とも言えず良いものだ。多少の危険とスリルが、そして普段は立ち入らない特別な場所であるという意識が、さらに気持ちを高揚させる。「馬鹿と煙は高い所へ上りたがる」と言うが、たまにはそんな馬鹿をやるのも楽しい。

 たっぷりとコーキング材を塗りたくり、修理は終わった。しかし、それで雨漏りが止まるかどうかは分からない。

 二日ほどしてまた雨となった。私は再度屋根裏に上がって調べた。例の場所は乾いていた。どうやら雨漏りは止まったようだった。




ーーー5/23ーーー ダヴィンチ・コード


 話題の映画「ダヴィンチ・コード」を観た。世界同時封切りの5月20日。高校の部活帰りの娘を拾い、家内と3人で松本市郊外の映画館に入ったのは午後7時過ぎ。客席は8割ほど埋まっていたろうか。

 家内は原作本を読んでいて、ぜひとも映画も観たいと言った。私は読んでもないし、あまり興味も無かった。しかし、その映画館にはシニア夫婦割引というのがあって、夫婦の片方が50歳を越えていると、二人ぶんの料金が大きく割引きになる。そんなせこい理由から、付き合うことにした。

 映画の出来としては、特段のものはないと、とりあえず言っておこう。私も一応自分を映画マニアだと思っているので、少し気取ってみたいのである。それはさておき、原作のストーリーは凄い。これには驚いた。

 ここで映画の内容に深入りすることは、まだ観ていない人に悪いから、止めておこう。ごく大雑把に私の印象を言えば、「キリスト教って凄いな」ということ。凄いという意味は、偉大だとか深遠だとかいうことではない。「恐ろしい」というのに近いだろうか。宗教による縛りが極めて希薄な日本人には、とうてい理解できない世界のようにも思われる。

 映画を観てから、原作本を読んでみた。一般的に言って、映画と原作本を比べることにはあまり意味が無いと思う。両者を同時に経験することはできず、必ず先入観が形成されるからである。それを承知であえて言うなら、今回は原作本の方により大きな感銘を受けた。その理由については、これも秘密にしておこう。




ーーー5/30ーー 残雪の燕岳登山


 
25日の木曜日、燕岳(つばくろだけ)に登った。残雪の山に登るのは、夏山とは違った楽しみがある。雪の上を登ったり降りたりするのは、何か自由を感じさせる。天候が安定した時期に、晴天を選んで雪上の登山を行うのは、一つの贅沢だ。特にゴールデンウィークが過ぎたこの時期は、素晴らしい世界をひっそりと楽しむことができる。

 燕岳は標高2763メートル。登山口の中房温泉から1400メートルほどの登りである。登山道は合戦尾根という名の尾根筋に付けられているが、森林限界に達するまでは急勾配が続く。北アルプス三大急登に数えられている、厳しい登りである。

 この日は移動性高気圧が列島を覆った。絶好の登山日和である。軽トラックに荷物を積んで、自宅を出たのが6時過ぎ。この時危うく登山靴を忘れるところだった。車のエンジンをかけようとしたとき、腕時計を忘れたことに気がついた。取りに戻ったら、玄関に置いたままの登山靴を発見したのである。

 余談になるが、車で登山に出掛けるときは、忘れ物に注意しなくてはいけない。公共交通機関を使って出掛ける場合は、山に登る格好そのままで家を出る。だからザックの中身は別として、重大な忘れ物をすることは少ない。車の場合は、便利なだけに要注意だ。過去の経験では、ザックを忘れたこともあるし、登山靴を忘れたこともある。登山靴を忘れたのは20代の半ば、四月の巻機山に登ったとき。おそらく積雪期の巻機山の、運動靴による初登頂だと、同行者から笑われた。

 今回の装備は古色蒼然たるものである。学生時代に買った登山靴は既に30年もの。靴底が剥がれかかっている。ピッケルは、杖のように長い木製シャフトの古風な代物。学生時代に山好きの伯父から貰ったもので、製造されてから60年以上経つだろうか。

 この夏はテント泊まりで北アルプスに登るという、十数年来ご無沙汰の行為を目論んでいる。そのための体力作りとして、2月から週に二回くらいのペースでジョギングをやってきた。その成果を確認するのも、この山行の目的の一つであった。

 登り始めは押し殺したようにゆっくりと歩く。これが山歩きの基本である。若い頃は、初めから飛ばしても大丈夫な体力があった。今となっては、そのような無理をすれば途中でバテてしまい、目的地まで到達できない。「こんなにゆっくりで良いのか」というくらいのペースが、長丁場を登りきる秘訣である。

 そういうことは重々分かっているのだが、次第に昔の悪い癖が出る。歩き始めは、「歩いて登れる幸せを感じるだけでも有り難い」などと、年齢相応の殊勝な気持ちなのだが、しばらくすると苦痛を感じないと満足できない性質がムックリと頭をもたげる。何かに尻を叩かれているかのように、ペースが上がる。周囲の景観に目をとめる余裕もなく、がむしゃらに登る。そしてぐったりと疲れた。

 同じ時期に同じコースを登った2002年の登山は、稜線上の燕山荘(えんざんそう)に達した時点で疲労困憊となり、そこから30分ほどの山頂まで行くことができず、引き返した。今回はその二の舞だけは避けたいと考えた。馬車馬のような歩き方は止めにして、とりあえずゆっくりと休憩し、ペースを落として残りの三分の一を登りきった(写真は、合戦尾根の最上部、森林限界を抜けたあたりから見た燕岳山頂)。

 燕山荘に達すると、それまで見えなかった主稜線の向こう側の山岳景観が展開する。この景色の変化は、ドラマチックだ。ざっと数えても20以上の、標高3000メートル級の山頂を望むことができる。まさに圧巻である。そのほとんど全ての山頂に達した過去の思い出が、懐かしくよみがえる。

 燕山荘から燕岳山頂までの稜線は、東側に雪が残っているものの、ほとんど夏道通しで歩いて行ける。トレーニングの成果か、全身的な疲労感はほとんど無い。しかし、脚がひどく疲れている。ずばり脚力不足である。一歩出すごとに脚がつりそうになる。なんとも情けない。脚にビンタをくらわせて、「しっかりしろよ」となじる。

 山頂に立ったのは12時少し前。空は真っ青で雲ひとつなく、日射しは暖かだった。しかしやはり稜線上には少し風がある。ウインドブレーカーを着るほどではないが、風は冷たい。

 山頂には私一人。北アルプスの山頂で、たった一人で時を過ごすというのは貴重な体験である。昼食を食べ、写真を撮り、そして一息ついてから、持参したサンポーニャを演奏した。サンポーニャという楽器については、マルタケ2004年9月号を参照願いたい(おっと、この号にも燕岳登山が書いてありますね)。ただし今回山上に持参したのはプラスチック製のものである。植物の管でできている本物の楽器は壊れ易いので、乱暴に扱う場合はプラスチック製が具合がよい。

 一人山頂にたたずみ、アンデスの楽曲を演奏する。なんとも良い気分である。楽器の音色といい、曲相といい、大自然の中で共通するものがあるのだろうか。つい興が乗って、吹き続けた。

 突然、一陣の強い風にサンポーニャを奪われた。と言っても、風が当たって楽器を手から落としたのではない。楽器の管に風が当たり、私の演奏とは無関係に、音を発したのである。それも複数の管が同時に鳴り出し、絶妙なる不協和音を奏でたのだ。教会堂に鳴り響くパイプオルガンの如くに。これはまさに新鮮な驚きであった。

 サンポーニャは風の楽器とも言われる。風の心を読まねばならぬと、アンデスの土着の奏者が語るのをテレビで見たことがある。それがどういう意味なのか、この山頂で初めて理解されたような気がした。

 山頂から燕山荘に戻り、オーナーの赤沼さんをたずねたら、あいにく不在だった。メッセージを残せば伝えると従業員が言ったので、山荘で木工家具が必要でしたらご用命下さいと書き残した。山の上で営業とは、ちょっと無粋だったけど、稼業に込めた思いとしてお許し願いたい。

 下山もしばらくは雪の上である。午後になってグズグスに腐った雪の上に、階段状の足跡が刻まれている。中にはアイゼンの跡が印されたものもある。実際、下りですれ違った中高年の夫婦とおぼしき二人組は、アイゼンを付けて登っていた。これはちょっと違うのではないかと思ったが、そのまま挨拶だけして通り過ぎた。

 下山の途中の小休止で、またサンポーニャを取り出して吹いた。今度は森の中である。よく響く音色が、樹々の間に吸い込まれるようであった。今回の山行は、自然の中におけるこの楽器の適性を、再認識することになった。

 夕刻というにはまだ少し早い時間に、登山口に降り着いた。アスファルトの道路を、駐車場まで降りる。このわずか5分くらいが、いつもきつい。脚がガクガクである。軽トラックに荷物を積み、少し下の有明荘まで下る。燕岳登山の締めくくりは、いつもこの温泉である。湯船に浸って、疲れた体をゆっくりともみほぐした。浴室の窓の向こうには新緑の樹々が、谷間に落ちる陽光に照らされていた。



(左の写真は燕岳山頂にて。杖のように長いピッケルと、ザックからのぞいているのはプラスチック製サンポーニャ)














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